池添 博彦さん(いけぞえ・ひろひこ)
  1941年神奈川県横須賀に生まれる。帯広畜産大学を卒業し、北海道大学農学部大学院に進む。
 現在、帯広大谷短期大学文化人類学の教授として、「人間行動学」「社会環境学」「北方地誌論」「ボランティア論」などを教える。
  十勝古文書研究会顧問、万葉の会代表および講師、文化人類学博士(Ph.D.)。言語学に通 じ、日本及び世界の博物館、美術館巡りを愉しんでいる。


『本別 町歴史民俗資料館』


 

 博物館法という法律では「博物館」を定義して歴史、民俗、産業、自然科学等に関する資料を収集し、保管し、それを展示して、一般の人々に観覧する施設としている。
 人々が展示してあるものを見たり、聴いたりして、面白い、珍しい、愉しい、美しい、心地良い、不思議だなどと感じることにより、新しい知識を得たり、刺激や感動を受けたりするところといってもよい。
 博物館の起こりは、エジプトのアレクサンドリアに創設された、ムーセイオンといわれている。ムーセイオンには動物園や植物園が付設され、学芸に関する資料が収集されていた。
 昔から人間はものを収集する習癖があるようで、美術品や珍しい鉱物、植物、動物、昆虫、蝶、コイン、切手等あらゆる分野に渉(わた)って集める人々が知られている。収集したものを密かに自分だけで愉しむ人もいるが、同好の士に見せ合ったり、多くの人々に公開する人々も現れてきた。
 ロンドンの大英博物館はハンズ・スローン卿の収集品を元にして、1759年に博物館として公開された。パリでは1793年にルーブル官の王室美術品が公開されている。

 我が国では、古くから寺院の仏壇や神社の宝物殿に彫刻や絵画が奉納されたり、集められたりしており、それらが民衆に観賞されていた。
 1867年(慶応3)、パリで開かれた第5回万国博覧会に参加した折、諸国の博物館に刺激を受け、日本でも展覧会が開かれるようになり、1871年には大学南校で収集した物産が公開された。やがて、湯島聖堂が物産の陳列所と定められ、1872年には湯島聖堂で、第6回万国博覧会へ出品する収集品の博覧会が行われた。その10年後には国立中央博物館が上野に創設されている。

 北海道の東、十勝平野に本別 がある。帯広から釧路へ向かうJRで池田へ行き、ふるさと銀河線に乗り換えると、いくつかの駅を過ぎてから池田町の隣の町、本別 に到着する。
 私は銀河線が好きである。池田から北見の間を走っているが、十勝管内の主な駅は本別、足寄、陸別で、次は北見の領域に入る。
 駅の標示板は北の空の星々を象(かたど)り、駅も人々が利用しやすく、洒落た雰囲気の建物が多い。中には集会場や喫茶店、ホテルや博物館を併設している処もある。

 秋から冬に銀河線に乗ると、たった一両の列車に乗客は少なく、車窓からはすっかり葉の落ちた裸の木々が見えるだけで、空が曇っていたりすると、何となくもの淋しくなってくる。
 日暮れになると、窓の外には灯が一つも見えず、こんなに人気の少ないところに鉄道が通 っていることを、不思議に思ってしまう。北見に行く時は直通列車が少なく、途中の陸別 で乗り継ぎにかなり時間があったりする。その間に、関寛斎の資料館を見たり、駅前のソバ屋で、碾(ひ)きたてのソバ粉を使ったおいしい天プラソバを愉しむこともできる。




 ただ目的地に行くことを望む人には不便この上もないが、生活の変化を味わったり、時間を過ごすことを愉しんだりするためには、この鉄道は申し分ないものである。
 ポットのお茶を飲みながらボンヤリと外の景色を見続け、気儘(まま)に心を遊ばせるような旅には、銀河線が最も適した乗り物だと思う。


 さて本別であるが、この名はアイヌ語でポンベツ(小さい川)に由来しており、利別川に流れる本別川を指している。
 明治4年には、アイヌ人が12戸、73名居住していたが、明治26年に和人が初めて入植し、その後次第に増えていった。明治35年には戸長役場が置かれ、昨年開基100年を迎えている。人口は1万人程度であり、義経伝説を元にした義経の里事業が進められている。
 開基90年を記念して建てた歴史民俗資料館は台形をしており、1階は企画展示室と収蔵室、2階は常設展示室になっている。建物は町の中心部にあり、役場や図書館、体育館、中央公民館に隣接している。
 1階には、造材が華やかな頃の丸太橇(そり)を曳(ひ)く馬の姿がある。ここでは時に応じた企画展をしている。戦時中、本別 は軍馬の補充地でもあり、多くの馬が本別駅より荷物車に積み込まれて戦地に向かった。その資料もここに展示されている。







 2階は民俗具とともに昭和10年頃の農家が再現されている。木銃は軍事教練に用いたものであり、手押しポンプは発動機や車の普及していなかった頃の消防器具である。
 池や川より氷を切り出した時の氷用鋸(のこぎり)や氷鈎(かぎ)、鍛冶屋の鞴(ふいご)や金の槌(つち)、装蹄職人の削蹄用具が展示されている。造材用の鋸も大小、巾の広いものや長いものがあり、農具も種蒔き用の蛸足、除草器、防虫薬散布器などが飾られている。
 入植期には遊びや楽しみの種類も限られていたが、郷里から携行した、浄瑠璃の本や見台、装束も集められている。

 この民俗資料館は小規模のものであるが、展示品が見やすくまとめられており、見甲斐のあるところである。壁面と置台を上手に利用しており、中央部の農家の居間と台所も、調度品がよくディスプレイされている。



 私は博物館が好きでさまざまなところを訪れるが、大きなものだけではなく、小さな町や村の展示資料を見ることも好きである。どんな小さな施設でも、じっくりと見ると必ず何らかの発見があり、それが感動に繋がってくる。
 本別の歴史民俗資料館は10回近く訪れているが、いつも各種の企画展示がなされており、その都度愉しい時間を過ごすことができた。


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