池添 博彦さん(いけぞえ・ひろひこ)
  1941年神奈川県横須賀に生まれる。帯広畜産大学を卒業し、北海道大学農学部大学院に進む。
 現在、帯広大谷短期大学文化人類学の教授として、「人間行動学」「社会環境学」「北方地誌論」「ボランティア論」などを教える。
  十勝古文書研究会顧問、万葉の会代表および講師、文化人類学博士(Ph.D.)。言語学に通 じ、日本及び世界の博物館、美術館巡りを愉しんでいる。


『神奈川県立歴史博物館』

N0.12


 神奈川県立歴史博物館は横浜市内の桜木町駅に近い馬車道に面して建っている。建物は明治37年(1904)に建てられたドイツ・ルネッサンス様式の旧横浜正金銀行の本店である。建物の正面上部には丸窓を擁したドームが聳(そび)え、ファサードには紋様の浮彫りが付されており重厚な面向きがある。  

 博物館は昭和42年(1967)の春に開館した。常設展示は自然科学(3F)と人文科学(2、3F)の展示室と特別展示室(1F)に分かれている。
 JRの桜木町駅は横浜駅から大船に至る根岸線の駅であるが、明治5年の鉄道開通時は新橋と共にターミナル駅であり、今の桜木町駅の処に横浜駅があった。旧新橋駅は現在一部が発掘されている。

 当時横浜は諸外国へ開放された港街として、西洋文明を導入する近代化の最先端を行く街であった。横浜村と呼ばれていたこの地には、ガス、写真、印刷、水道、演劇、新聞、ビール、アイスクリーム、牛乳店など、諸事物の我国初を示す史蹟が残されている。

 現在博物館の正面玄関は馬車道玄関と反対側の増設部分にある。一階は特別展示室とコレクション展示室およびミュージアムライブラリーとミュージアムショップがある。コレクション展示室は収蔵品の内よりテーマを決めて展示をしている。

 



 特別展示は開港時の日本人の風俗を海外に紹介した英人画家のチャールズ・ワーグマン展や神奈川の石塔展、マンローコレクション展、甲冑展、馬車道展およびペリー来航に関する展示など、折に触れて横浜や神奈川に関連する展示を開催している。今年はペリー来航150周年に当るので、黒船に関する展示を実施した。
 二階は「近世の街道と庶民文化」、「横浜開港と近代化」及び「現代の神奈川と伝統文化」

 

の展示である。
 神奈川県内の主要道は東海道であり、川崎、神奈川、保土ヶ谷、戸塚、藤沢、平塚、大磯、小田原、箱根の各宿場があり、18基の一里塚が設けられていた。北部には甲州街道が伸びていた。
 街道は、江戸時代を通じて整備されていったが、当時の旅人は明け方に出発して、日暮れまで一日平均十里(40キロ)を歩いていた。 



 箱根は関所で有名であるが、湯治場としても賑わい、湯本、塔之沢、堂ヶ島、宮の下、底倉、木賀、芦の湯の七湯を多くの人が訪れた。
 宿場は人を泊めると共に、伝馬とよぶ荷役の引継ぎでも重要な役割を占めており、人馬を備えて運送の業務を受負っていた。宿場には高札場があり、切支丹、放火、鉄砲使用を禁制し、駄賃、人足賃を定めていた。
 箱根の関は手形改めと共に、『入り鉄砲と出女』の取り締りを厳しくし、大名の婦女子が江戸より国元に戻るのを防ぎ、武器の江戸流入を監視していた。
 
 東海道の宿神奈川に、外国人を住まわせることを嫌った幕府の決定により、隣の寒村である新開地の横浜村が開港場とされた。横浜では湿地帯を埋め立て、外国人の居住地が増設されていった。
 当時の瓦版には、開港地横浜に居住する西洋人の服装や建物、街並み、港の様子や生活様式の総てが興味深げに紹介されている。

 「近代の神奈川」では、関東大震災以降の横浜および神奈川が紹介されている。大正12年(1923)の関東大震災により、横浜は壊滅的な大被害を受けたが、その惨状を示す写真や資料が展示されている。
 昭和6年(1931)より満州事変が始まり、20年(1945)まで戦争が続くが、軍事施設や工業地帯を擁する軍都神奈川の様子を伝える展示や、戦時下の人々の暮らしを示す品々が集められている。
 物資の統制下で、衣料切符や食糧切符や灯火管制を促すパンフレットは、この時代を体験した私には寂しくも懐かしい想い出のある展示である。



 民俗展示室には、伝統的な民家の一部が移設されてある。納戸、座敷、囲炉裏と居間および土間があり、台処には炊事用具と竈がある。石製の流しや水甕(かめ)、桶、柄杓(ひしゃく)、籠、笊(ざる)、蒸籠、盤台、擂鉢(すりばち)、擂粉木(すりこぎ)、飯台、草鞋(わらじ)、下駄、洗い張り板、盥(たらい)、洗濯板など、一世代前まで日常に使われていた生活用品が展示されている。
 博物館のある桜木町周辺は横浜中華街にも近く、最近はウォーターフロントの赤レンガ倉庫が洒落た洋品店やレストラン、土産物店に変身して魅力を増している。
 駅の東側は横浜美術館やランドマークビル、商店街に続く動く歩道が整備され、大規模なコンベンションホールやホテルが建ち並び、新しい横浜の中心地として発展している。






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