●金沢八景とは
金沢文庫は横浜の金沢区に属しており、東京の近郊として住宅が多い。金沢八景の地名は中国の僧心越により命名されたもので、洲崎の晴嵐、瀬戸の秋月、小泉の夜雨、乙舳の帰帆、平潟の落雁、野島の夕照、内川の暮雪、称名の晩鐘である。
もともと八景とは中国の瀟湘八景が起源であり、我が国に齎(もたら)されて、近江八景や南都八景(奈良)、金沢八景などが作られた。
称名寺は金沢北条氏の菩提寺であり、北条実時の墓がある。建物の配置は創設時と余り変化がないが、三重の塔や僧房、新宮は今はない。仁王門の仁王像は関東一大きいといわれ、約七百年前の院興の作である。観音像は1311年に海に流され、その後漁師の網にかかって拾われ、八角堂に安置されていたが、現在は金堂に祀られている。
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境内にある「かいじゅ」は孔子木とも呼ばれ、孔子の墓の側に生えていたものといわれる。
金沢八景の宝樹院は小泉純一郎、純也、又次郎三代の菩提寺であり、小泉家の墓がある。小泉純一郎さんは横須賀の山崎小学校の出身であり、家は三春町一丁目にある。私の実家は三春町一丁目36番地であり、小学校も6年間同級生であった。小学生の小泉純一郎さんは毎日私の家の前を通って山崎小学校に行っていたが、あまり目立たない子どもであった。
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