●畠と鶏
敷地は百坪程あり、やがて同居人も引っ越していったので、庭に畠を作った。母は以前から父の貸し家の側にも畠を作っていた。私はサツマイモや大根の収穫をしたり、時には我が家から肥料となる糞尿を運ぶのを手伝ったことがある。食糧不足の折、夜中に作物をゴッソリ盗られたこともあった。
中学生の時、器用な次兄が庭に小屋を作ってくれたので、鶏を飼い始めた。当時は珍しかったロードアイランドレッドという種類の鶏を数羽飼育した。卵を孵すのは矮鶏(チャボ)が上手と聞いたので、番(ツガイ)の矮鶏を一緒に飼った。
確かに卵を温めるのはうまく、一ヵ月位で次々に雛が誕生した。一時は30羽近くの鶏を飼ったことがある。米糠や麩(ふすま)に近くの山や野で摘んできたはこべを刻んで餌にしたり、魚屋さんで魚の骨やアラをもらってきて、鍋で煮てあげた。野草が少ない時は青物市場に出かけて、卸し業者が出す野菜の屑や少し傷んだものを集めてきたこともある。卵の殻には貝殻が良いと聴いたので、蛤(はまぐり)や浅蜊(あさり)の殻を砕いて餌に混ぜて与えた。
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小学生の頃まで鶏の卵はバナナと並んで貴重だった。病人の見舞いとして紙函に籾殻(もみがら)を詰め、卵を入れて贈ったりした。まだ学校給食がない時、友だちの林君が毎日卵焼きを弁当のおかずにしてもってくるのを見て、とても羨ましく思ったことがある。
鶏を飼うようになって、やっと念願が叶い、毎日卵が食べられるようになった。生で食べたり、目玉
焼きにしたり、卵焼きにしたりと、細やかな贅沢気分を味わったものである。今でも卵焼きは私の好物であり、結婚する前デートの時に、ワイフに作ってきてもらったりした。
ところがある晩、隣にある寺の猫が鶏小屋に網の下から忍び込み、ほとんどの鶏を殺してしまった。明け方卵を取りに小屋に入ると、血を流した鶏が倒れており、小屋から隣の寺の住宅まで、食い千切られた鶏の羽や体の一部が点々と続いていた。
卵は食べたが、飼っていた鶏を食べたことはない。毎日可愛がっていると情が移って、とても殺すことはできなかった。猫事件以来、鶏を飼う気がしなくなったので、残った数羽の鶏は人にあげてしまった。
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