池添 博彦さん(いけぞえ・ひろひこ)
1941年横須賀生まれ。帯広畜産大学酪農科卒業、北海道大学大学院へ進む。現在、帯広大谷短期大学で文化人類学の教授として「食品科学」「生活科学」「人間行動学」「社会環境学」など教える。十勝古文書研究会会長。言語学に通じ、言葉の歴史を追い世界を旅する。
 
イタリア前編〜ローマ1 連載第19回

 
 イタリアは地中海に突き出した半島と、サルジニア島、シチリア島の二つの島から成っている。北緯36度から47度に位置するが、これは樺太の南端から東京までに相当する。
 大西洋暖流と陽光に溢(あふ)れた地中海気候のおかげで、緯度の割には暖かい。南部は農村が多いが、北部は工業や商業で栄える都市が多い。
 話される言葉はもちろんイタリア語であるが、アルプスの山間部ではレト・ロマンス語と呼ばれるラテン語系の古い言語が使われている。サルジニア島では方言に近いサルジニア語が話されている。



■ローマ

 終着駅(テルミネ)で列車を降りると、子ども連れのジプシーがあちこちにいるのが目に入る。スカーフを被り、赤ちゃんを抱いて、子どもの手を引いており、顔立ちも浅黒く異なるので、一見してジプシーと判別 できる。ジプシーは、インド起源の人々が西へ移動して、中東で二手に分かれ一方はルーマニアハンガリー、チェコを経て西欧に分散した。他方はエジプトから北アフリカを経てモロッコを抜け、スペインに入ったようである。
 英語のジプシーgypsy、仏語のジタンgitan、西語のヒターノgitanoは共にエジプト人という意味であり、彼らの通 ってきたところを示している。ドイツではツィゴイネル Zigeunerと称し、フィンランドでは ムスタライネンmusta-lainen(黒い人の意)と呼んでいる。浅黒い肌をした人が多く、篭(かご)編み、鋳掛け、装飾具売りや音楽、ダンスを見せ、占いをして生計を立てている。


 特有の幌馬車で生活しており、各地を放浪している人が多い。女性は長いスカートを着て、ショールやスカーフを付け、小さな子どもを連れていることが多い。
 フランス語のボヘミアンbohemienもジプシーを指している。フランスでは、ジプシーはボヘミア(チェコ)から来たと考えられていた。英語でも ボヘミアン bohemianと呼ばれている。
 独語のツィゴイネル、仏語のツィガンtziganeは共に、ハンガリア語でジプシーを指すシィガニーに由来している。
●ヴェニスの運河

○治安の悪さ

 一般にヨーロッパは南へ行くと治安が悪くなるといわれるが、確かにスペインやイタリアの大都市は、泥棒や騙(だま)そうと待ち構えている人が多い。
 ローマでは、バスの中でズボンのポケットに手を入れられたり、近寄ってきて鞄の蓋を開けようとする人がいた。慌てて、唯一知っているイタリア語で、ラードロladro(泥棒)と叫んだが、相手はニヤニヤして逃げようともせず、再び側に寄ってくるので、カメラの三脚で追い払った。泥棒の語は、昔見たイタリアの映画「自転車泥棒 ladro di bicicletta」で覚えていた。ジプシーの親子連れは、大っぴらに人の持っているものを盗ろうとするので、少しも油断ができない。
 中には人形を使って、赤ちゃんを片手で抱いているように見せかけ、服の下から両手を使ってこちらのポケットやバッグの中身を抜き取ろうとする人もいる。新聞を広げて読んでいるふりをして、片手は相手のポケットを探るなんていう手もある。何人かがグループをつくり、中の一人がソフトクリームを上衣にかけ、謝っているスキに、別 の人が財布やパスポートを盗る話は、旅行中に何度か耳にした。
 人の姿を勝手にカメラで撮り、写真を送るからといって住所を書かせて、小銭を要求するのは大した被害ではないが、次々と新手の詐欺が現れるので、旅は注意が必要である。

●野菜と果物市場

○蘇りを信じての埋葬

 話が逸れてしまったが、ローマはパリ、ロンドンと並んで誰もが訪れる地である。バチカンのサンピエトロ寺院やシスチーナ礼拝堂、コロッセオ、トレヴィの泉、真実の門、フォロ・ロマーノ、パンテオン、カラカラ浴場、ローマの休日で名高いスペイン広場の階段などは、必ず見にいく場所であろう。
 ローマも大都市なので、その他にも見て愉しいところは数多くある。私が面 白かったのは地中の墓所カタコンベである。
 カタコンベはラテン語で「墓の側の」を意味する語であり、ローマ皇帝のキリスト教迫害のため、地下の墓を用いて、集会や儀式が行われた。
 地下の墓所は時代とともに延長され、さらに数層にもなり複雑に入り組んでいる。アッピア街道に沿って、サン・カリストのカタコンベとサン・セバスティアーノのカタコンベがある。

 キリスト教徒は死後の蘇(よみがえ)りを信じるため、死後は焼かずに埋葬される。地下に通路が縦横に走り、一部の天井や壁には死後も快適な生活ができるように、美しい模様や人々の生活が描かれている。
 通路に沿って一人分の棺が入るように、壁がくり抜かれ、周りには食糧となる肉や魚、穀物や果 物、そして皿、ワイン壺、鍋、フォーク、ナイフや竈(かまど)が彫刻されている。犬や猫などのペットが彫られている墓もある。料理人や召使いとともに愛する家族が浮彫りになっているところもあり国や時代が違ていても、人間の考えることは同じだなと思えた。
●ピサの斜塔

○石の遺跡

 カタコンベのあるサン・セバスティアーノ教会は聖人の体を埋葬したところに建てられたが、ここにはペテロがキリストと出会った時の足跡が遺されている。
 コロッセオからローマ市の城壁を抜けてアッピア街道を行くと、 ドミネ・クォ・ヴァディス教会がある。ネロの迫害に耐え切れずに逃げようとしたペテロが、アッピア街道でキリストに会い、「Domne Quo Vadis?」(主よ、何処に行かれるのですか)と尋ねたことに由来する名である。「クォ・ヴァディス」はポーランドのシェンキェウィチの小説の題名としても有名である。
 フォロロマノには古代のさまざまな石の遺跡があり、元老院や神殿、凱旋門が見られるが、ローマ建国者ロムルスの墓もここにある。
 隣のカンピドリオの丘にはコンセルヴァトーリ博物館とカピトリーノ博物館がある。コンセルヴァトーリ博物館には、エトルリア時代の青銅像「牝狼」があり、その下に狼の乳を呑むロムルスとレムス兄弟の像がある。
 ローマ神話によると、軍神マルスとレアの双子の息子ロムルスとレムスは狼に育てられ、ロムルスによってローマが建設された。ロマはロムルスの名に因んでいる。
 カピトリーノ博物館は、ビーナスをはじめローマ神話の神々や、代々の皇帝とその妃達の胸像が多い。

(次回につづく)

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